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山岸 健 先生 [人生]

 私は医者になる前に回り道をしています。人間を自己と他者、都市の中における人間、風景だけでは風景にならない。人の営みがなければ原野のままである。こんな人間の側面を勉強してみようと、慶応義塾大学文学部を受け、そして山岸 健先生(慶応義塾大学名誉教授、大妻女子大学名誉教授)に出会いました。講義はショッキングなものでした。果てしない地平にわれわれはむかい、経験、言語、まなざしを通して、意味を求める。自分の世界は宇宙の中にある。その宇宙は景色、人、人とつながっていき、地平をめざし。無から有に変えていく。人間は社会的場動物、経験的、有機的な世界観をどう意味づけていくか?これらのことを、先生が自らのパースペクティブで日常生活を展開していく。様々な意味づけをしていく。決して人間はひとりではない。他者がいて自己がいる。自我が存在する。今でも、僕の頭を悩ませます。自分の卒業論文も社会学から逸脱してしまいましたが、「フロイトとユングの無意識の動的世界」という論文を提出しました。先生に何度か問題点を指摘され、推敲にに推敲を重ね、原稿用紙250枚の論文ができました。僕の興味はさらに人体そのものへ興味がわき、先生に医学部を受験するという気持ちがあると相談しました。おおいに結構。頑張りなさいと言われました。そして鳥取大学医学部に進み、現在医者をやっています。患者さんの病気は臓器だけの問題だけでなく、本人、周囲の世界、自我、性格特異性も問題になることもあります。消化器内科医でありながら、学位論文は「糖尿病と自我特性」という原著論文となり医学博士をとりました。まさに医学と文学の統合世界。山岸先生に出会っていなければどんな世界をさまよっていたか。それはそれで意味づけをしていったでしょう。あと20年は意味ある患者さんを見つめていきたい、そんな気持ちです。DSC00386.JPG

親、子ども、友 [人生]

                 宇宙は絶えず

               おれらによって変化する

               誰が誰よりどうだとか

               誰の仕事がどうしたと

                 そんなことを

               言っているひまがあるか

              「宮沢賢治刺繍刺繍」所収 生徒諸君に寄せる/岩波文庫より
 他人への羨望や嫉妬より、変化する宇宙のほうが偉大であり大事である。そこで一生懸命に生きていく個々人が大事であること、これが言いたい・・・と思う。(私感)

2012-01-03 [人生]

今年の目標・夢実現は決まりましたか?
あれこれ、考えずに、これと思ったことを、まず実行!!修正は後からすればいいと思いますよ!!

2012-01-02年末年始を振り返って [人生]

おせち料理ではなく、和食御膳でした。DSC00828.JPG浅草寺は昨年に対するお礼の詣で、食事をしてから、芝の増上寺が初詣としていって参りました。芸能人や政治家で有名です。DSC00831.JPGここで、今年の思いを込めて拝みました。その奥にあるのが東京タワーです。DSC00842.JPGDSC00834.JPGその東京タワーの展望台に上がりました。タワーの真ん中に展望台があるので実際の高さは150mmくらいでしょうか。一回りしていると、かすんでいる東京スカイツリーです。東京タワーから見た東京スカイツリーです。なんか妙な感じです。DSC00845.JPG東京タワーを後にして、地下鉄を使って銀座に行きました。三越の近くに日本のApple storeの本店がありますが、すでに1月2日の初売りのために行列ができていました。寝袋をほとんどの人がもっていました。写真を撮ろうと思いましたが、肖像権もこういうときはうるさいので撮らずじまい。有名な銀座風月堂でアイスカフェオレを注文したところで、震度4の地震に遭いました。まさか、正月からという感じで、意外と長く揺れ、食器がいくつか落ちた音がしていました。DSC00853.JPG落ち着いたところで、カフェオレを味わって飲みました。最初はミルクとコーヒーが分離していて独特な、贅沢な感じでした。夕方になり暗くなり始め、家路につきました。今年もマイペーと協調性を同時にもって生きていきたいと思うところです。

僕は旅が好きな理由、強くなります。 [人生]

 僕は今でこそ忙しくて、東京に出かけるのもままならないが、学生時代は、関東以外のところによく出かけた。飛行機を使った旅行ではイギリス、フランス、ニュージーランド、アメリカ合衆国、ハワイ、シンガポール、マレーシア、ロシア(当時はソ連)、ポーランドなど東ヨーロッパは怖かったが、独特なクールな感じは今でも忘れない。空港内では、ソ連、ポーランドとも兵士が直立不動。確かに目はこちらの様子をうかがっている。税関も厳しく、sightsheeingと言っても、仕事は、年齢は、何地滞在するかなど詳細に聞かれた。驚いたのはソ連のお土産屋さんのおばちゃん。日本語ペラペラ!!。
日本語上手ですねー、というと何でもしゃべれるよと流ちょうに話しかけてきました。うまくやられました。ウオッカを少し多めに買わされました。荷物を減らそうと思い、ホテルでいくらか減らせるかどうか、、、、。だめです。強すぎて、咳が出たり、のどが焼けたり、明日以降の旅に差し支えると思い、年配の画家の教授がいたので、1本差し上げました。君は、ウオッカ飲むの?、買わされたといったら。大声で笑われました。フランス、イギリスも当時学生でしたので、語学を一生懸命、、、話そうとしましたが、みんな日本語ペラペラです。フランスではムーランリュージュからタクシーでホテルまで帰りましたが、ホテルに着き、タクシーを降りようとしたところ、手をつかまれ、後500フラン出せといわれ、出さないと東京に返さないと言われびびりました。自分は日本語でおまえ馬鹿か、あほか?と大声で抵抗しました。ホテルの警備の人が来て、払った方がいいと。500フラン渡したら、笑い声で消えました。DSC00152.JPG

伝統 秩父夜祭り [人生]

DSC00694.jpg350年前からの伝統であります。屋台囃子がお腹に響いてきます・

不運と幸運 [人生]

DSC00530.JPG今から7〜8年前でしょうか。埼玉県長瀞町の荒川で事故が起こりました。県内高校生がカヌーに乗っいるうちに、岩畳の岩石が落盤しカヌーに乗っていた高校生を直撃しました。高校生は救急隊に救助されると思っていたところ大変な事態になっていました。岩盤が足の上に落ちて、片足が微動だにしません。引っ張って救出することもできず、消耗が徐々に始まって、苦悶状の高校生を前にしてなすすべがありませんでした。そうこうしているうちに挟まれている片足に異変が出てきました。足が冷たくなり、色も蒼白と鬱血とが混在したような色になってきました。壊疽の始まりです。このままでは、壊疽だけではなく、細菌が全身に広がる敗血症、多臓器不全に陥ることはわかっていました。ある整形外科の医師が決断をしました。「足をこの場で切断する」と言葉を発しました。まもなく、高校生に片足を切断してもいいかと尋ね、それから、現場での「手術」が始まりました。その光景は残酷な状況だったにちがいありません。片足が切断され、高校生はすぐに岩盤から救出され、病院に向かいました。そこではあらためて細かい手術が続きました。彼は確か、バレーボール部かバスケット部だったような気がしますが、リハビリテーションも順調にいき、片足がないものの身体的には落ち着きました。問題は心のことです。本人自身、一時絶望感いっぱいだったそうですが、命はある、生きている喜びを感じ始めました。もし、足の切断をしていなければ、命の保証がなかったでしょう。苦渋の決断、勇気を持って手術をした整形外科医の判断が不運を幸運に変えたのです。何か一つでも欠ければ不運で終わった可能性は高かったです

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